江戸時代から続く伝統文化のだんじりがJR吹田駅周辺を華やかに巡行します。
このだんじりは200年以上の歴史を持ち、吹田の地域文化と深く結びついており、小気味よいだんじり囃子の音色が吹田の街を彩ります。
地元の人々が誇りに思うこの伝統行事は多くの観覧者を魅了し、毎年盛大に行われます。
ぜひ、吹田駅周辺でだんじりの優雅さとその囃子の音色に触れ、吹田の伝統文化を堪能してください。
日時:令和6年7月28日(日)17:30 – 19:30
参加するだんじりは、以下の通りです。
- 西奥町地車
- 都呂須地車
- 六地蔵地車
- 神境町地車
- 浜の堂地車
- 川面地車(予定)
歴史を刻む吹田の「地車」
吹田市には、江戸時代から続く「地車(だんじり)」が残されています。その建造年代や大工、彫り物師の名が刻まれた棟札や墨書が存在し、当時の姿や部材が多く保存されていることが高く評価されています。現在も曳行可能な地車が残っているのは大阪府下でも珍しく、吹田の誇りです。
吹田には7台の地車が存在し、西奥町、都呂須、六地蔵、神境町、浜の堂、川面町、金田町という各町で管理されています。これらの地車は、平成10年9月に吹田市指定有形民俗文化財に指定されました。
西奥町の地車
西奥町の地車は、天保年間頃に製作されました。正確な製作年は不明ですが、調査により一部の材が天保期以前のものであることが判明しています。彫師は名門小松源蔵で、牡丹に唐獅子、龍などの彫刻が施されています。特に松竹梅に鶴亀、翁媼を配した三枚板の彫刻や、一木から掘り出した花頭口は圧巻で、当時の工芸技術の高さを物語ります。
神境町の地車
天保13年(1842年)に製作された神境町の地車は、大工田原喜右衛門と太兵衛、彫師小松源助勝美らが手掛けました。見送り部には宇治川の先陣争いの武者像が彫られ、斬新な題材が取り入れられています。地車の台座の丈が高く、下層部の高さが低いため安定感があります。現在の飾金具類は昭和36年の大修理時に追加されたものです。
浜の堂の地車
天保年間頃に製作された浜の堂の地車は、斬新な意匠が特徴です。富士の巻狩を題材にした彫刻や「濱」の字を彫り込んだ獅子口など、他の地車には見られないデザインが施されています。上層部は簡素にまとめられ、下層部は建築的な構成がはっきりと見える造りとなっています。
川面町の地車
嘉永7年(1854年)に製作された川面町の地車は、大工並河長兵衛兼廣が手掛けました。独自の意匠が随所に見られ、彫刻が前面に出る工芸的な地車です。棟端には獅子面と竜の彫り物が施されており、他の地車にはない手法が用いられています。
都呂須の地車
天保6年(1835年)に製作された都呂須の地車は、現存する中で2番目に古い貴重な地車です。背が高く幅が狭いため、台座の一部を削って車輪の間隔を広げる工夫が施されています。彫刻には牡丹に唐獅子、兎、猪、猿、鹿などの動物が描かれ、豪華な手法が各所に見られます。
六地蔵の地車
天保10年(1839年)に製作された六地蔵の地車は、高浜神社の祭礼や奉祝行事で曳行され、市民に親しまれています。大工木村茂右衛門と茂兵衛、彫師森上弥兵衛が手掛け、昇竜の彫刻や三国志を題材にした人物像が施されています。天保期の在地型地車の典型として貴重です。
金田町の地車
嘉永7年(1854年)に製作された金田町の地車は、大工並河長兵衛、彫師相野一門が手掛けました。2年に1度しか曳行されない小ぶりの地車ですが、鬼板には独特の彫刻が施され、龍が描かれた鏡天井など、独特の手法が見られます。
吹田の地車が語るもの
これらの地車は、吹田の歴史と文化を語り継ぐ貴重な存在です。江戸時代の高い工芸技術と美しい彫刻が今もなお息づき、地元の誇りとして大切に守られています。毎年の祭りで曳行される姿は、過去と現在を繋ぐ大切な文化財であり、訪れる人々を魅了し続けています。