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第1回吹田市だんじり祭

JR吹田駅前の旭通商店街周辺で、「第1回吹田だんじり祭」が開かれました。
「吹田まつり」が3年前で終了し陽の目を見ない事も懸念されていただんじりが、地元自治会の関係者らが実行委員会を作り企画をスタート。
私もだんじり議員連盟の一員として会議に参加する事もありました。

吹田市に現存する7基の地車は江戸時代に作られたもので、現在も曳行できる地車が残されているのは府内でも珍しいです。
1998年には市の有形民俗文化財に指定されております。

今回のだんじり祭では5基のだんじりが曳航されました。

巡行するだんじりは西奥町(にしおくちょう)、都呂須(とろす)、六地蔵(ろくじぞう)、神境町(しんけいちょう)、浜の堂(はまのどう)です。

高浜神社からは六地蔵・西奥・神境町・都呂須のだんじりが、泉殿宮からは浜の堂のだんじりが、旭通商店街の前を通過いたしました。

曳航された皆さま、関係者の皆様本当にお疲れ様でした!

吹田市の7基の地車(だんじり)の紹介

西奥町(にしおくちょう)

天保年間頃 製作
彫師:小松源蔵

いつ製作されたか確定する資料は無いのですが、調査の結果、この地車の一部の材には天保期をさかのぼる古い材が含まれていることが判明し、古い地車の姿を推量することのできる貴重な地車です。
製作にあたった棟梁は不明ですが、墨書によって細工人3名の他、彫師として小松源蔵の名があります。
小松源蔵は代々名工を輩出した名門の彫師で吹田とは関わりが深い彫師です。
彫刻は、牡丹に唐獅子、龍など他の地車に類するものですが、中でも松竹梅に鶴亀、翁媼を配した三枚板の彫刻や一木から掘り出した花頭口(花弁を模した上部が曲線の窓)は圧巻で、当時の高い工芸技術を知ることができます。

神境町(しんけいちょう)

天保13年(1842年)製作
大工:田原喜右衛門・太兵衛 彫師:小松源助勝美 他

小松源助勝美は小松一門の初代源蔵の別名といわれ小松一門が吹田の地車製作に大きく関与していました。
この地車の彫り物は牡丹に唐獅子が主体ですが、見送り部(後方)に宇治川の先陣争い、佐々木高綱、梶原景季、畠山重忠の武者像、といった新しい題材が用いられています。
市内の地車の中では台座の丈がもっとも高いにかかわらず、下層部の高さが一番低いという特徴があり安定した外観を呈しています。
なお、現在の飾金具類は、昭和36年の大修理の際、付け加えられたものです。

浜の堂(はまんど・はまのどう)

天保年間頃 製作

浜の堂地車は、正面の欄干部を手摺とせず、「富士の巻狩」を題材に採る彫刻をはめ、脇障子は側柱が欄干の柱を兼ねる仕様に造られ、棟端の鬼板を獅子面とせず「濱」の字を彫り込む獅子口にするなど市内の他の地車に無い斬新な意匠がみられます。
部材は細く対照的に彫刻は大きく彫り上げたものが多いという構成をとりますが、上層部は丈を高くし装飾を抑えて簡素にまとめ下層部では縁を支える肘木を多用することなど、全体に建築的な構成をはっきり見せる造りとなっています。
彫り物に主体を移す傾向がみられる地車にあって、浜の堂だんじりは、あえて建築に主体をおく古風さを意識して建造されたとみられます。

川面町(かわづらちょう)

嘉永7年(1854年)製作
大工:並河長兵衛兼廣

この地車には、製作年の棟札が残り、同時に金田町地車も手がけていた吹田の大工、並河長兵衛兼廣によって建造されたことが知られます。
台座に彫刻を施し中央通柱に加え、後部通柱にも彫り物をいれる脇障子を構え二対とするなど、市内では例がない独自の意匠がみられます。
又、棟端につく三面の鬼板のうち前屋根は獅子面としているが、後屋根を波濤と向き合う竜の彫り物としていて、市内では数少ない手法が用いられています。
細かい彫り物を、随所に配するなど、建築的形態から彫刻が前面に出て、工芸化に向かう地車建造の様子を良く伝える作品です。

都呂須(とろす)

天保6年(1835年)製作
大工:彦兵衛
彫師:花岡良造
飾師:富永伊兵衛

現存する地車の中で、府下で最古(天保5年製作)交野市の地車に次いで2番目に古い貴重な地車です。
市内の地車の中では一番背が高く、幅が狭いため、台座の一部を削って車輪の間隔を拡げ、重心の安定をはかる工夫が見られます。
前面柱前には、童形の力士像を一対配置する他、見送り部(後方)をはじめとして、牡丹に唐獅子の彫刻で埋め尽くされ、兎、猪、猿、鹿などの動物も彫られています。
打ち出し技法による繊細な竜文の飾金具を用いるなど、豪華な手法が各所に見られます。

六地蔵(ろくじぞう)

天保10年(1839年)製作
大工:木村茂右衛門・茂兵衛
彫師:森上弥兵衛

製作以来、高浜神社の祭礼や奉祝行事に際して曳行され市民に親しまれている地車で、大工の木村茂右衛門は、吹田村六地蔵の人です。
柱には昇竜の彫刻を付け三枚板は中国の物語(三国志)を題材にした人物像、各所に牡丹、唐獅子、花鳥草木、を配するなど、全体を装飾化する傾向がみられます。
前と後の懸魚(屋根下中央飾り板)の植物と麒麟の彫物は独特です。
地元で製作され、現在まで建造当時の状態をよく止めていて、天保期の在地型地車の典型として、貴重なものです。

金田町(かねでんちょう)

嘉永7年(1854年) 製作
大工:並河長兵衛
彫師:相野一門

2年に1度しか曳行されない小ぶりの地車ですが、棟端の三面の鬼板のうち前屋根には、性別を示すような角の有る鬼と角の無い鬼とし、後屋根は全く異なった谷を昇る中国の人物像とする珍しい鬼板が用いられています。
また、龍が描かれた鏡天井(一枚板天井)など独特の手法が見られます。

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