本日、一般社団法人大阪日台交流協会の8月例会に参加いたしました。
講師は現代中国文学者であり、学術博士の劉燕子先生。
演題は「人間の条件1942 ―誰が中国の飢餓難民を救ったか―」。
副題として掲げられた「人間らしく死なせてやりたかった」という言葉には、重く深い意味が込められていました。
この「人間の条件1942」とは、劉震雲の小説『温故一九四二』を原作とした作品を指しています。
小説、映画の脚本、そして馮小剛監督による映画版の三つがあり、いずれも史実に基づきながら、飢饉と戦争に翻弄された中国庶民の姿を描き出しているとのこと。
中国政府に見捨てられた民衆、救ったのは日本軍だった?
舞台は1942年の河南省。旱魃とイナゴの害により大飢饉が発生し、人口3,000万のうち300万が餓死、同数の難民が発生したと言われています。
ところが、国民党政府は重税を取り立て、軍は農民から牛や食糧を奪い、民衆はまさに絶望の淵に追いやられました。
そのような中で、皮肉にも難民を救ったのは、侵略者であったはずの日本軍でした。
日本軍は軍糧を放出し、民衆は日本軍に協力。結果として、6万の日本軍が30万の中国軍を打ち破るという歴史的逆転劇が起こりました。
ここにこそ、中国政府が隠し続ける“不都合な史実”が潜んでいます。
この事実は、日本軍を「一方的な悪」と描く中国の官製歴史観を根底から揺さぶるものではないかと思います。
戦争を単純に「善と悪」に二分するのではなく、民衆の生存という切実な現実に焦点を当てると、全く異なる歴史像が浮かび上がりますね。
「ご飯の問題」こそ歴史を動かす?
劉震雲の視点は、政治や戦争の指導者ではなく、飢えに苦しむ庶民にあります。
彼は「政治や戦争よりも、一人ひとりの生活=ご飯の問題こそが歴史を変える」と指摘しています。
これは、中国共産党が語りたがらない部分とのこと。
なぜなら、中国では建国以降も「大躍進政策」などによって数千万単位の餓死者を出してきたからですかね。
つまり、「1942年の大飢饉」は、中国の歴史に繰り返される飢餓と圧政の象徴であり、同時に“体制の本質”を浮き彫りにしています。
民衆にとって重要なのは「誰が国を治めるか」ではなく、「生きられるかどうか」なのではないでしょうか。
映画化と中国当局の検閲
映画版『一九四二』は、18年もの歳月を経てようやく公開にこぎつけました。
当局は「日本は悪役であること」「民族対立を強調すること」など数々の検閲条件を課しました。
それでも、作品の中には日本軍の規律ある姿や救援の描写が残され、中国軍の腐敗ぶりと対比されています。
この点にこそ、映画『一九四二』の価値があると思います。
中国共産党の宣伝映画とは異なり、“もう一つの史実”を提示しているのです。言い換えれば、権力が塗り替えようとする歴史の陰で、民衆の「生き抜こうとする姿」が真実として生き続けているのです。
台湾と日本への示唆
今回の講演を通じて強く感じたのは、台湾と日本が共有すべき価値観の存在です。
自由、民主主義、人権、そして「人間らしく生きる権利」です。
中国共産党がいかに国民を犠牲にしてきたかを歴史は示しています。
そしてその構造は今も変わっていないのではないでしょうか。
だからこそ、私たちは台湾とともに歩み、自由と尊厳を守る社会を築かなければなりません。
「人間の条件」を問うこの物語は、過去を知ることにとどまらず、未来への責任を私たちに突きつけていると受け止めました。
今回のブログ…、ちょっと踏み込みすぎたかな?💦
個人的な意見や感想なので、政党の考え等は一切考慮しておりません。
あくまで、高村の考えで描いております事、ご理解願います。