本日(令和6年/2024年7月3日)に、一万円、五千円、千円の3券種が、20年ぶりに新しく発行されました。
新しいお札は、150年以上にわたり培った偽造防止技術の結晶です。
この新紙幣は一万円札に「近代日本経済の父」と呼ばれる渋沢栄一、五千円札に日本初の女子留学生・津田梅子、千円札に破傷風の治療法を開発した北里柴三郎の肖像がデザインされています。
新しいデザインには偽造防止のための立体的なホログラム技術が採用されており、ユニバーサルデザインとして数字の表記が大きくなりました。
日銀から各金融機関への引き渡しは3日午前8時から始まり、午前中に手にすることができる金融機関もあります。
新紙幣の発行は2004年以来20年ぶりで、財務省と日銀は来年3月までに現在発行されている紙幣の46%にあたる74億8000万枚を印刷する計画です。
ATMや自動販売機の更新状況には業界ごとにばらつきがあり、特に飲料の自動販売機は2割から3割程度しか対応が完了していないと見られています。
また、政府が新紙幣に対応する機械の更新を進める中で、電子マネーやキャッシュレス決済に切り替える動きも見られます。
新紙幣の発行に伴い、各地で記念イベントや準備が進められており、渋沢栄一の出身地やゆかりの地でも地域を盛り上げるための取り組みが行われています。
一方で、新紙幣への対応が間に合わないケースもあり、政府の計画的な取り組みや補助金の導入が求められています。
また、キャッシュレス化が進行する中でも、現金の需要は依然として存在し、紙幣の偽造防止や信用力の維持が重要とされています。
新一万円札
渋沢栄一の肖像と東京駅丸の内駅舎がデザインされており、寸法は縦76mm×横160mmで現行と同じです。
新技術として高精細すき入れ、3Dホログラム、特殊発光インキなどが採用されています。さらに、識別マークや額面数字の大型化など、ユニバーサルデザインの要素も含まれています。
渋沢 栄一(1840~1931)
渋沢栄一は、埼玉県深谷市出身の実業家です。
農民から武士に取り立てられ、一橋慶喜に仕え、パリ万国博覧会を見学するなど欧州諸国を訪問しました。
明治維新後は静岡に「商法会所」を設立し、大蔵省の官僚として日本の新しい国作りに深く関与しました。退官後、第一国立銀行や東京証券取引所などを設立し、約500社の企業に関わり、約600の教育機関や社会公共事業にも尽力しました。
その思想は「論語と算盤」に表れています。
新五千円札
表面には津田梅子の肖像、裏面には藤の花が描かれています。
偽造防止技術には、高精細すき入れ、3Dホログラム、特殊発光インキ、深凹版印刷、マイクロ文字などが採用されています。また、識別マークの形状変更や額面数字の大型化など、ユニバーサルデザインも強化されています。
津田 梅子(1864~1929)
東京出身の津田梅子は、日本の女子教育家であり、女子英学塾(現・津田塾大学)の創設者です。
6歳で日本最初の女子留学生として渡米し、17歳で帰国後、華族女学校教授に就任しました。
再度渡米してブリンマー大学で生物学を専攻し、「欧米の学術雑誌に論文が掲載された最初の日本人女性」として知られています。
帰国後、女子英学塾を創設し、女性の地位向上と女子高等教育に尽力しました。
新千円札
千円札には、北里柴三郎の肖像画と葛飾北斎の「神奈川沖浪裏」が描かれています。
偽造防止技術として、高精細すき入れ、深凹版印刷、3Dホログラム、特殊発光インキ、マイクロ文字、潜像模様、パールインキ、識別マークが採用されています。また、ユニバーサルデザインとして額面数字の大型化や識別マークの改良が行われています。
北里 柴三郎(1853~1931)
熊本県小国町出身の北里柴三郎は、「近代日本医学の父」と呼ばれる細菌学者です。
東京医学校卒業後、ドイツ留学し、世界初の破傷風菌培養と破傷風菌抗毒素の発見で世界を驚かせました。帰国後、伝染病研究所を創立し、ペスト菌を発見するなど、医学の発展に大きく貢献しました。
また、慶應義塾大学医学部の創設など多くの医学団体や病院の設立にも尽力しました。
ところで、二千円札はどこいったのか?
二千円札は、2000年に発行されたものの、今ではほとんど見かけることがありません。
その原因として、二千円札は他の紙幣に比べて流通量が少なく、一般的にあまり利用されていないことが挙げられます。
また、多くの自動販売機やATMが二千円札に対応していないため、使用する機会が限られているみたいですね。
銀行や金融機関では交換可能ですが、日常生活での使用頻度が低いため、使い勝手の悪さから、今では流通すらしなくなったんでしょうかね。
私も手元に二千円札が来たら、真っ先に手放してました 笑