生徒の心情に配慮する一方で、命を守る教育はどうあるべきか、改めて問われています。

記事の説明
全国の公立中学校において、水泳の実技授業を廃止する動きが加速しています。学習指導要領では中学2年生までの必修とされている水泳ですが、近年は猛暑による熱中症リスクの高まり、プール施設の老朽化、さらには思春期の生徒たちの「肌の露出への抵抗感」など、複合的な理由から水泳の授業を見直す自治体が増加しています。
具体的には、岩手県滝沢市では2025年度から市内すべての中学校で水泳実技を廃止すると発表。
背景には、生徒からの「肌を出したくない」という声が増えたことや、出席率の低下があるとのことです。静岡県沼津市や愛知県大府市、福井県鯖江市でも同様の方針がとられており、各市では代替策として座学授業や外部の水泳教室を導入することで対応しています。
一方、スポーツ庁は「事故時に命を守るためにも水泳の実技は重要」と強調しており、安全教育の観点からも実技の意義を改めて訴えています。
日本の学校にプールが普及した背景には、1955年に瀬戸内海で発生した修学旅行船の沈没事故があり、その教訓から「泳げること」の重要性が教育に組み込まれてきました。
高村の考え
私は、水泳の授業は学校教育の中で極めて重要な役割を担っていると考えています。とりわけ見落とされがちな点として、「水の怖さを知る」ことがあります。
人間は、水に対する本能的な恐れを持ち合わせていません。そのため、自己判断で無防備に水辺に近づいてしまう子どもたちも多く、毎年夏になると水難事故によって命を落とすという痛ましいニュースが後を絶ちません。
こうした現状を踏まえると、水泳は単なるスポーツという枠に留まらず、「命を守る力を育てる教育」として捉えるべきです。特に小・中学校の段階で、水との正しい向き合い方や危険回避能力を教えることは、将来的に自分自身や周囲の命を守るためにも非常に大切です。
これはまさに、「生きる力」を育む教育の一環であると断言できます。
もちろん、思春期の生徒の心情に配慮することも大切です。肌の露出が嫌だという感情は極めて自然なものであり、それに対する理解や工夫(たとえば露出を抑えた水着の導入など)は必要でしょう。
しかし、その感情を優先して教育の本質を後退させてしまっては、本末転倒になりかねません。
行政には、生徒の多様な感性と向き合いながらも、「命を守る教育とは何か」をしっかりと問い直し、冷静かつ理性的な判断を下していただきたいと願います。
学校現場(行政側)のコストが理由であるなら、外部や民間の力を活用する手もあります。(私はこれをずっと前から推奨してきましたが。)
子どもたちの未来を守るためには、単なる施設の老朽化や一時的なニーズに振り回されず、教育の根幹に立ち返った議論と対応が求められているのではないでしょうか。